萌えの歴史

面白いサイトがあったのでメモ
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/moe_history.htm
「萌え」について色々考察されていますが、歴史関係の纏めは的を射ていたので。考察したいです。

年代毎に考える

・『萌え』という言葉が流通する以前の時代(1990年以前)

 私も良くは知りません。宮崎某が有名になった時代です。

このとき20代だった人は現在40近い訳で、筋金入りのヲタですね。今ほど環境が整っていない時代に萌を見いだしていたわけですから。先人達と言って良いでしょう。

・PC9801/9821時代、まだパソコン通信の時代(1990年〜1995年頃まで)
私見では、オタク市場を支えてきたメイン世代(団塊ジュニア〜ちょっと後ぐらいまで)は、この時代から次の時代までの期間に何らかの萌えイニシエーションを受けていたと推測している。

 とあります。私の大学のサークルの先輩数人はPC98やパソコン通信に詳しいですが、果たしてこの頃萌えに達していたかどうかは定かではありません。

エヴァの衝撃、パソコン通信からネットへの移行期(1995年〜2000年頃まで)

 エヴァンゲリオンといいwindows95といい、ヲタ界にもたらした影響を考えると1995年は大変な年だったんですね。団塊ジュニア世代からちょっと後の年齢になる
大学のサークルの長老諸氏はこの時期に萌え趣味に覚醒したと考えられます。彼らの趣味やそのコレクションを考えれば自明です。

・そして大作の不在へ。インターネットと巨大掲示板の時代(2000年〜2004年)

 このサイトでは2000年以降はヒット作が無く、萌え世界そのものが萎んでいったとし、その原因について考察しています。また、ヒット作が無い代わりに嗜好の細分化が
進んだとも書いています。サークルの先輩を見渡しても、以前ほど萌え作品に情熱を注がなくなっている人や、「はじめてのおるすばん」に見られるように細分化された萌え趣味にマッチしてこの世界に堕ちていった人も居ます。

現状の問題点

1.データベース組み合わせの濫造と、その限界
  1990年代後半には確立していた、(属性をはじめとする)データベースの組み合わせによる作品制作の限界。既存のデータだけをとっかえひっかえしただけでは、結局「どこかで見たような寄せ集め作品」が出来るだけになってしまうという現実を前に、萌えに「飽きる」「醒める」しかないオタクが増加したのではないか。

 これは私も感ずる所である。似たような作品ばかりでつまらないのだ。

2.萌えジャンル・萌え属性の細分化
  2000年頃までには、数多くの属性と企業(と同人市場)が"萌えの世界"に乱立する状況ができあがっていたと言える。消費者たるオタクのニーズは一層多様化し、それら小さめのニッチを狙った作品群の供給が企業や同人サイドからしっかり為されるようになっていた。プロ作品のリリース数も1990年代とは比べものにならないほど充実し、それらの作品には同人市場から出てくる二次作品群が恒常的に乗っかっていた。このため、オタク達は自分の最も好むデータベースが集積された作品を数多くの選択肢の中から選び抜くことが出来るようになり、場合によってはコミケ秋葉原で同人に頼るという手段に訴える事も可能となった(2chやネットにおける情報共有や情報検索の普及がこれに拍車をかけたことは言うまでもない)。

 しかし、これは人によっては良い傾向といえるのでは無かろうか。

3.続編モノとメディアミックス的展開の副作用
  続編モノや外伝モノをだらだらと作り続けたり、メディアミックス的展開でかつての大作や各ニッチを代表する佳作を長く消費させようとする戦略が目立ったのもこの時代以降である。

 要はつまらなくなったと言うこと。

4.世代交代の問題と少子化の影
 もしかすると、これこそが2000年以降の萌え世界の衰退の最大要因なのかもしれない。萌えコンテンツを消費するのがエロゲーやギャルゲーなしには生きていけない重オタクだけなら、今後数十年間に渡って萌えオタ人口は増え続けたに違いない。だが、は脱オタしたり結婚したりする者もいれば、元々多趣味の中の一選択肢としてたまたま萌えコンテンツに触れていた消費者も存在していたため、彼らが飽きたり(加齢や結婚に伴って)萌え界隈から離れたりすれば、パイの大きさはその分縮小してしまう。

 少子化の影響は鉄ヲタ界でも言われているが、無視できないファクターです。

5.ネットゲームの台頭に伴うユーザーの流出
そんな彼らにとって、1995年〜2000年頃までの萌えの全盛期は夢のような時代だったかもしれないが、萌え界隈は前述の通り荒廃の一途を辿っていった。丁度こんな感じでオタク界隈全体に閉塞感が広がった頃、ネットゲームは颯爽と登場し、彼らを退屈から救い、彼萌え界隈からネットゲーム界隈にさらってしまったのである。萌え界隈のコンテンツがキャラ⇔オタクの間で一方向的関係に終始し、結局は自己愛的営みを誘導するだけの娯楽だったのに対して、ネットゲームは曲がりなりにも他人との付き合いや関係性を提供する娯楽だった所が、元気の無い萌え界隈に飽きていたオタク達にはとりわけインパクトがあったのかもしれない。

キャラ〜オタクの一方的関係とオタク〜他のオタク達という一対多の関係性の着目は面白いと思います。

・そして現在。"萌えブーム""電車男"(2005年周辺)

 これからの展望である。"電車男"で注目されているがこれは一過性のものですぐに過ぎ去るそうだ。私も全く同感でマスコミによって作られたブームでしかない。
 で、萌え界隈の盛衰については全体的な規模の縮小は免れないが物凄く上質の組み合わせや、大多数の萌えオタにとって未知の要素を外界から採り入れる事によって名作が生まれるだろうと書いています。


 こうして見てくると、確かに当てはまる人を何人か知っています。こういうサンプルが直にいる点がオタクサークルの面白さだなと思いました。