ジェネレーションギャプみたいなの

ロストジェネレーションと麻枝准の時代

http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000332.html
↑は『AIR』や『CLANNAD』で有名なエロゲシナリオライター麻枝准氏の作風と、所謂ロストジェネレーションと呼ばれる世代(1972年頃〜1982年頃生まれ、2007年現在25-35歳)の置かれた状況を対比させながら、エロゲ業界での流行の変化を論じたエントリーである。

 引用しつつ要約する。まず、

ロストジェネレーションの恋愛ゲームユーザは、異性に興味を持ち始める頃には、美少女ゲームこそ存在するにしてもまだ普及してはおらず、一般に、最初は普通の恋愛およびその挫折を通過してから恋愛ゲームに触れていると思われる。そのため、恋愛ゲームに対して、「現実の恋愛でなく恋愛ゲームをプレイしている」ことに幾分かは後ろめたさが存在していた。
(中略)
新しく出てきた「恋愛ゲームネイティブ」層は、初めから、もしかすると恋愛以前に恋愛ゲームや萌えゲーに接しているため、ゲームのキャラクタに、性的なものを含む恋愛的な感情を抱く事についてより親和的であり、後ろめたさを比較的感じにくいと思われる。

として、エロゲユーザーを二つの世代に分けている。これを単純に「ロスジェネ世代」と「ゆとり世代」とでも呼ぼうか。

 つまり、麻枝准によるエロゲは、劣等感や挫折感を持つ「ロスジェネ世代」の心を揺さぶり、「泣きゲー」と呼ばれ一世を風靡した。しかし、新たな「ゆとり世代」は萌えキャラを求め、次第に「泣きゲー」は廃れていったと。

 確かにエロゲ業界において90年代後半から00年代始めにかけての「泣きゲー」と呼ばれるシリアス重視の傾向は、次第に萌え重視のトレンドへと変化していった。その理由について従来は指向の細分化だとする指摘が多かったが、この世代間の差異だとする主張は新鮮で説得力がある。

大学で感じるジェネレーションギャップ

 エロゲの好み以外の点でもこの二つの世代間ギャップは肌で感じることが多い。私は訳あって大学に長居したので、二つの世代どちらとも接した。つまり、入学時の先輩はロスジェネ世代であり、卒業時の後輩はゆとり世代なのだ。そういう環境だと、個々人の性格もあるので断言できないにせよ、考え方の違いを何となく感じる事はある。

 一番大きいのは仲間意識、難しく言えば組織に対する考え方だ。昔は多少の趣味指向の違いこそあれ、集まって団結する雰囲気があった(と、少なくともsibus氏は述べている)。最近はその時々に応じて指向が同じ人が集まる、まあ分散型ネットワークみたいな雰囲気だと感じる。

 その理由をインターネットと携帯電話の普及に求めてみたい。そういった情報ネットワークシステムを小さい頃から当たり前のように使いこなしている若者を指して「デジタルネイティブ」呼ぶそうだ。先のエントリーで恋愛以前に恋愛ゲームや萌えゲーに接している世代を「恋愛ゲームネイティブ」層と呼んだのは面白い造語だと思う。

 ネットでは掲示板などで同じ趣味の話題で盛り上がる一方、興味のない情報は見ないのが普通だ。中高生がケータイを持つ現実はロスジェネ世代にとってはカルチャーショックだ。彼らはクラスの中で、取り敢えず興味の無い雑談をするような煩わしさを経験せずに、離れた友人とメールをしているのだろうか、まああくまで想像ですが……

 企業に入れば「(ほう)報告・(れん)連絡・(そう)相談」を教えられる。しかしケータイでいつでも繋がるゆとり世代にとっては非効率な無駄に映るのだろうか。まあよくわかりませんが。

で、これからのこと

先のエントリーでは

新しい「恋愛ゲームネイティブ」層の登場の中で、麻枝准はその役割を終え、そしてロストジェネレーションには、ただ終わりなき日常が残されるのである。

と、泣きげーの衰退とエロゲにうつつを抜かしていられなくなったロスジェネ世代の現実を纏めている。

 確かにエロゲ市場を見渡しても

仕事、結婚、育児、そして家族と、それを通じた人間的成長といったテーマは、社会人経験が少し重ねられたユーザが増える中で、仕事でこそ『はるのあしおと』『SA・NA・RA・RA』『120円の春』など一部の作品で見られるもののの、結婚や育児を真正面から描こうとするものは稀

ということらしい。実際問題、仕事やその他で忙しい社会人がエロゲに没頭するのは時間的に無理な話だ。