絶望の果てにあるギャグ Angel Beats! 第7話まででの感想

音無や直井の回想シーンはAIRCLANNAD的な空気を感じ取れる。照り付ける夏の日差しや粉雪の舞い散るクリスマスとか、keyのゲームにおいて定番的なシチュエーションであり、ゲームの感傷が浮かび上がってくる。それは泣きゲーでリアルに衝撃を受けた世代限定の精神構造かもしれないけれど。*1

その手のゲームでは終盤に悲劇的展開で読者を泣かせるものだ。そして奇跡のエンディングで幕を閉じる。Angel Beats! の場合、まだ6話・7話の段階(回想ではあるが)そうした悲劇的なシーンが描かれる。まだ半分近く尺が残っているというのにである。絶望的な人生を描いて、さらにその次を描こうというのか。悲劇的な展開に追い打ちをかけるように悲劇を描いた「CLANNAD AFTER STORY 汐エンド」の続きを描こうというのだろうか?

しかし、AB!の内容を振り返っても、ギャグの絶えない楽しい日常や、奏と友情を育む話だったりする。けいおんらき☆すたといった日常描写を繰り返す空気系アニメと同じだ。なるほけいおんとAB!は共通の方向性があるという指摘は興味深い *2 *3

シリアスを描きたいのかギャグで楽しませたいのか、どうも意図がわからない。この違和感について、同人誌的雰囲気を考えると少しわかった。00年代初めに葉鍵やら型月といった泣きゲーで感動した僕らは、それらのギャグが書かれた同人やアンソロを読み漁った。ところが、Angel Beats!は初めからギャグと泣きが同居している不思議空間だなのだ。まずシリアスなストーリーがあって、その二次創作としてギャグ展開が生じたのが従来の流れであるのに対して、Angel Beats!は原作の中に初めから同人誌的ギャグを盛り込んでいるのだ。

人間関係がしっかりと構築されていない段階でギャグをやっても盛大すべる、という感想があったけど、確かにその通りだ。*4さらにギャグと泣きが同居している不思議空間だと見ると、MAD的だという指摘も頷ける。*5
結局、Angel Beats! は何を描こうとしているのだろうか。未だに分からない。