ネタバレ映画感想「夜明け告げるルーの唄」「メアリと魔女の花」「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海」

 例によってネタバレを隠して感想を書くのが苦手なので、続きを読む記法で。

「夜明け告げるルーの唄」

 とても優しいアニメ作品。今の日本のアニメ表現はこんなに高いレベルにあるんだと確認する共に、大人でも感動して泣いてしまう。

 地方の漁村に暮らす主人公のカイは、将来の事に煮え切らない。一方、友人の遊歩と国夫はカイをバンドに誘う。ひょんな事からカイは人魚のルーと出会い、音楽が好きな人魚ルーをバンドに加える事でドタバタ劇が始まるというあらすじ。

 まず映像表現としてリアルな背景美術による田舎の美しい情景と、原色を多用したファンタジックな描写によって人魚の力が優しく調和しているのが良い。こういう切り絵みたいな描写って化物語から多用されるようになったと思うんだけど、不思議な世界観と人魚の優しさをうまく表現していて良かった。

 この作品で人魚の存在は何を示しているのか? そういう深いところに切り込んだレビューがあったので、ちょっと紹介したい。

「結局、この映画における人魚って何?」
「いろいろと複合的な意味合いがあるんだけれど……1番大きいのは『将来の夢』であったり『好きなこと』の象徴だよ」

http://blog.monogatarukame.net/entry/Yoaketugeru

 将来の夢を持てていなかったカイが人魚のルーと出逢って将来に希望を持つ。夢を持てない保守的な大人は人魚に敵対的なのに、大人になっても夢を忘れない大人は人魚に友好的で主人公達に協力する。

 でも、どっちが正しいとか間違ってるとか、そういうんじゃない。東京に出たのに、夢破れて田舎に帰ってきた人達を魅力的に描いているのがその証拠。全てを受け入れる優しさがこの作品にはある。

 あと、ルーが「みんな仲良し!」とか「好きー!、すきすきーヽ(●´∀`●)ノ」って言うのがめちゃくちゃ可愛かった。

メアリと魔女の花

 元スタジオジブリの米林監督が立ち上げたスタジオポノックの初作品。一言で本作を表せばジブリっぽい。いや、ぽいというより殆どパクリレベルでジブリ作品のオマージュが散りばめられているのだ。魔女の宅急便を思わせる出会いに、となりのトトロのような森、そして最後はラピュタだし。正直、オマージュの連続に辟易してしまった。

 ただ、これにも意味があるのかもしれない。面白い解釈をしているレビューがあった。

つまり、メアリというのは米林宏昌監督そのものなわけだ
(中略)
『なんでもできる究極の魔法』って何かというと、それは宮崎駿その人(もしくはスタジオジブリ)なんだよ。

http://blog.monogatarukame.net/entry/mearitomajyonohana

 この作品でいう魔法はスタジオジブリの技術なのだ。なんでも出来る魔法、それは宮崎駿の技術。取り憑かれたように魔法の研究をする魔法学校の校長達は宮崎駿を追い求めているのだ。

 一方、主人公のメアリは米林監督そのもの。魔法の花で一時的に魔力を得るのは、ジブリ作品のオマージュを埋め込むという事。効果は一時的だ。ホウキに乗ってたどり着いた魔法学校はスタジオジブリ。かつての仲間は宮崎駿の呪いに取り憑かれている。魔法が無かったことにする呪文を唱えて、最後は「扱いきれない技術なんていらない」と魔法の花を投げ捨てる。

 こういう風に考えると、オマージュの連続だったのも理解できる。米林監督の次回作はジブリオマージュから解放されるのだろうか。次回作がとても楽しみである。

パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海」

 やっぱり僕はエンタメ作品が苦手なんだなぁと改めて思った。3D上映というのを初めてみたんだけど、とても気持ちが悪くなった。まず、眼鏡のフチで視界が狭い。3D効果も紙芝居のようなレイヤーが前後に並んでる感じで、リアリティーというよりCG的な作り物感が強調される。

 ストーリーも人間的な成長や葛藤といったドラマは一切無く、戦闘シーンをドンパチやって決着を付けるという感じ。呪いだとか、血縁だとか、日本人の観念的に理解しづらいテーマが多いと感じた。

 3Dではなく普通の字幕版だったら、もうちょっと映像を楽しめたのかもしれない。あと海賊役の演技がコメディータッチで面白かった。